拝啓 先生、以前話したことを覚えているでしょうか。 僕は、よく怒りを覚えます。日常の出来事でも、社会でも、他人でも、自分にでもそうです。 怒るというと、怒鳴り散らすようなそれを想像するかもしれませんが、そんな発露はほとんど出来たことがなくて、そうではないものです。何と言ったらいいでしょうか、ただ、静かな怒りです。腹の底で静かに動くようなそれです。風のない湖に一てきの雨が落ちるような、そういうものです。 怒りなんです。それが僕を正常にさせてくれないのかもしれません。家族にすら、露出することの難しい何かです。 怒りはよく、ぐつぐつとしたマグマとかに喩えられますよね。僕のものは少し違うように感じます。すう、と冷たい風が通るような感覚です。ぽっかり空いた穴の縁を風がなぞるような、冷たさです。 そういう怒りです。 小さな頃、修羅という言葉を本で読みました。暫く頭から離れませんでした。 母の書斎によく忍び込んでいました。基本的にはよくわからない専門書の類ばかりですが、稀に小説や、詩集もありました。 その中でもお気に入りだったのが宮沢賢治の作品です。彼の作品の中でもわかりやすく児童文学寄りなものが、作品ごとに薄く小さな冊子になって印刷されていて、子供の僕にとっては手に取りやすかったのです。よだかの星や、注文の多い料理店や、セロ弾きのゴーシュなどがあったと思います。読み終わった本が増えて、興味のある選択肢が減っていった中でも、中々手を出さなかったのが、詩集でした。 そう、今でこそ詩に傾倒していますが、初めはよくわからないものだったというのが素直なところなのです。そうして手に取った詩集の中に、その、修羅という言葉を見つけました。 僕は、これだと思いました。ただ、恐ろしかったんです。鏡のように、自分のことを見せられていると思いました。腕が六本に、顔が三つ、怒り、驕り、愚かさを隠し切れない醜い自分が僕を見ていました。 敬具
対戦相手を待っています...