私たちはいつも、この世のすべての映像を見て、考えたと思い込んでいる。数年来、私は欠けている一枚の映像を探し続けてきた。それは1975年から1979年の間にクメール・ルージュがカンボジアを支配していた時期に撮影された一枚の写真だ。この一枚の写真は、クメール・ルージュの暴政を証明するものではないが、人々に考えさせ、反省させ、歴史の真実を再現させるには十分である。私は祖国の記録文書、証明書、宣伝資料の中を探したが、見つからなかった。今、私はこの写真が欠けていることには理由があると知り、探すのをやめた。この写真は下品で無意味なものなのだろうか?私は自分で一枚の写真を作ることにした。今日、私が皆さんにお見せするのは、一枚の映像ではなく、映画的手法で調査の過程を記録したものである。ある映像は本来欠けているべきで、他の映像で代用されるべきだ。ここには生命、闘争、苦痛、美しさ、消えゆく顔の悲しみ、歴史的事件への理解がある。時には優雅さと勇気さえもある。しかし、決して忘却はない。
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